STAFF INTERVIEW 社員インタビュー

サンティアゴ・
フェルナンデス

企画セクション / レベルデザイナー / 2022年4月入社
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サンティアゴ・フェルナンデス

自分からポートフォリオを
会社に送り付けて入りました

レベルデザインについて

僕のいる企画セクションは、ゲームシステムやルール、ステージ構造やギミックなどのレベルデザイン、それからエネミーの挙動デザインなど、携わっているゲームができるだけおもしろい遊びになるように、ゲームの内容を決める仕事です。そこでいま僕は、おもにレベルデザインとエネミーデザインを担当しています。

レベルデザインでは、ゲームプレイの難易度とプレイヤーの楽しさのバランスを取るのが難しいですね。まずそのレベルに求められていることの徹底的なリサーチをして、設定を意識しながら仕様を作ることを心がけています。同時に、アニメーションやプログラムでどれだけの手間がかかるかも考えています。そして何より、自分のやりたいことと、手掛けているゲームにとって最適なことのバランス取りを意識しています。このふたつは食い違うことがあるので、自分の個性を守りながらも自我はさて置き、おもしろさを最優先するように努めています。

これまで

じつは2022年の4月に入社しています。それまでは日本の美大で映像を勉強していました。それ以前は地元で勉強していましたが、大学3年のときにイギリスに留学し、そのままイギリスに残りました。

サンティアゴ・フェルナンデス

結果、そのあと進路についていろいろと迷うのですが、アニメーションや映画はずっと好きだったので、その勉強をしたいと思ったんですね。そのころに日本人の友だちもいて、日本のコンテンツにも触れていたので、日本が視野に入ってきたんです。そこでまずは日本語学校に1年半通い、それなりに学んだところで日本の美大に入ったんですね。日本語の勉強を始めてからは、ですから7年ほど経っています。

ゲームとの関わり

ゲームは子どものころからずっと好きです。最初に触れたのはたぶんキャラクターものの液晶ゲーム。その後、ゲームボーイカラーと『ポケットモンスター 金』を買ってもらったんですね。それはもう本当にずっと遊んでいました。

ほかにもマンガやイラストを描いたり、映像作品を作ったりは好きでずっと続けていたのですが、いざ就職を考えたとき、アニメ業界を狙うかゲーム業界を狙うかで迷いました。最終的に、ゲームという媒体はほかの表現媒体よりも将来性が高いと思ったんですね。歴史がまだ短くて業界が若く、まだまだ実験できることが多いなと。

なぜGhMを選んだのか

GhMは実績がありながら、わりと小規模なのが入りたいと思ったきっかけのひとつになっています。大企業にありがちなよそよそしさがなく、クリエイティブな小さめのチームという環境は、いちばん人間的で理想な形だと思います。

GhMのゲームで初めて触れたのは、ニンテンドーDS版の『花と太陽と雨と』でした。当時は14歳。それまで任天堂がほとんどだった自分のゲーム体験の中に初めてアートっぽいものが現れ、「こんなゲームがあるんだ! ヤバい!」と思いました(笑)。

それ以来、『シルバー事件』や『Killer7』、『ノーモア★ヒーローズ』などに触れていきました。じつは日本語を勉強し始めた理由のひとつは、『シルバー事件』を遊びたかったから。いまでこそ英語版が発売されていますが、当時はまだなく、ファンによる翻訳を待っていましたが待ちきれず、「もう日本語を勉強しちゃえ!」と。それから7、8年が経ち、いまでは「日本語がわかっていても何を言っているかわからないゲームだった」ということがわかりました(笑)。

入社の経緯

でもいざ「入りたい」と思った当時は、会社が人材を募集していなかったので、自分から一般的なリクルート書類とゲームの企画書、そしてポートフォリオを会社に送り付けました。……すると連絡が来たんですね。

時節柄、最初にオンライン面談をして、その後は直接オフィスに行き、ひととおり話を聞いてくださった須田さんが、その場で「じゃあうちに来てください」と言ってくれたんです。そのスピード感が、もうヤバいと(笑)。送った作品の発想力や表現力なども影響しているかもしれませんが、たぶん「自分から行動を起こしてアピールしたパッションの部分がフックしたのかもしれないな」と思っています。

サンティアゴ・フェルナンデス

GhMに入ってみて

GhMには、もともとパンクを感じていましたが、入るといろいろなタイプの人がいるなと思いました。カッチリしすぎていないところは想像どおりですが、そのわりにみんなマジメに働いていますし、それは個人的に最高だと思っています。それから、GhMではほかの海外からのスタッフを含め、国籍にまったく関係なく、同じ扱いをされるのはうれしいところです。そうでなくてもみんな話しやすいので、誰かに相談ごとをすれば丁寧に教えてもらえます。

それと入社前に2年ほどアニメスタジオで制作補助のアルバイトをしていました。そこではディレクターなどボスが内容を決め、スタッフは黙々と作業するという働きかたでしたが、GhMでは、かえって迷うくらい最初からけっこう自由に制作しています。それが積極的に動いて責任を持ちたいタイプの僕にはフィットしていて、そうしてできた成果物に対して上司や須田さんがフィードバックをくれ、形にしていきます。だからこそ自分で責任を持ってアイデアを出して作成する必要はありますが、GhMに入りたいならそういうタイプの人が適していると思います。

須田さんについて

インディーシーンにものすごい才能の人が隠れているかもしれませんが、メジャーのゲームシーンの中で、須田さんは独創的な才能がいちばんある人のひとりだと思っています。フランスでしか出版されていない須田さんの伝記を読んだりもしましたが、影響を受けた部分は多いと思います。たとえば言葉にするのは難しいですが、「ゲームってここまで自由にしていいんだ」という精神などです。『花と太陽と雨と』は長い距離を歩かされるなど、ともするとプレイヤーを苦しませるようなゲームデザインで。それを嫌がる人もいるでしょうけど、他に類を見ないもので僕はおもしろいと思ったんですね。

将来について

目先の目標としては、もっとUnreal Engineに習熟したいということもありますが、将来はできるだけ早く力を付け、オリジナルゲームのディレクションをしたいと思っています。そのためにいまもレベルデザインをしながら、積極的に企画書を書いて提出しています。というのも、とにかく表現したいものがたくさんあるから。「こんなゲームが作りたい」というよりは、もしかしたらゲームですらない、誰も作ったことのないものを作りたいんですね。先ほども話したように、ゲームは他のメディアに比べてまだまだ可能性の多い媒体で、「ゲームでできることって何だろう?」ということをいつも考えています。いろいろ担当部分に実験を忍び込ませながら、エンターテイメント以上の可能性を模索していければと思います。インディーでもなく、それが許される。そういうパーソナリティのある会社は他にあまりないと思うので。

そういう延長線上にAAAタイトルには見られないようなオリジナルゲームのディレクションの機会があって、数十年経ったときに、少しでもゲームの進化に寄与できていればと思います。それができるなら、自分で作るだけでなく、クリエイティブな人が活躍できる環境を整えるというのもいいですね。最終ゴールは、誰もが自由に幸せに作品を作ることだと思います。

サンティアゴ・フェルナンデス